ES感想とか妄想とか、たぎる思いのままにつれづれと。
月曜日からジャンプネタバレ解禁です。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
食ネタから派生して。
私にとってトップテンに入る美味いものに、ミチコさん(仮名)が握ってくれた握り飯があります。
わたし、以前、山の中の温泉宿に、住み込みで仲居を務めていたことがあるんだけどね、その宿は、なんというか、食に執着がないところで、終始餓えていたのです。
朝食はチェックアウトのお見送りをしてからようやくありつけたものですが、それも、お客様の残りの冷や飯で、
おかずは古くなった生卵もしくはふりかけ(ふりかけは後日、「減りが早い」と女将さんが難色を示したため、
塩 に移行されました)、好き嫌いの激しいお客様がおかずを手つかずで残した日には「ごちそう万歳」と、心の中で快哉をあげたものです。
そんな生活、布団の上げ下げやお客様の食事の給仕は、当然、従業員の朝食前に済ませる仕事なのですが、腹ぺこ住み込み従業員の朝早くの肉体労働を労ってくれたのがミチコさん(仮名)。
ミチコさん@仮名 はパートのおばさま@50代後半 だったんだけどね、あわただしく働く朝にやってきては、女将さんがいないときを見計らって、「ここはいいから、早くこれ食べてきな。かわいそうになあ、若いもんが腹すかせちゃ駄目だ」って、ミチコさんお手製の握り飯&漬物を私に渡して、"早く食べろ"とあたしを布団部屋に押し込んでくれたもんです。
他のパートさんも、あれやこれやと、女将さんの目を盗んで、色々おかずや果物を差し入れしてくれてね。
アレに勝る美味はないと、今でも思う。本当に美味しかった。本当に美味しかったのです。
ミチコさん@仮名 は特に良くしてくれて、寒い時期になったから、と、嫁いだ娘さんのセーターやジャケットを融通してくれたりもしましたよ。 今でも年賀状のやりとりくらいはしています。
住んでいたのは山の中腹、車も通れない急勾配の上にある旅館、渓流に面していたため日がな一日水の岩を打つ音が聞こえる場所でね、私の部屋は、千と千尋の如く、ボイラー室の真上でした。
住み込みは殆ど居なかった(仲居すらほとんどいなかった。みんな逃げていったので、あたしが最初のひとりであり最後のひとりの住み込み仲居でもあった)から、宿が休みの日は、旅館にあたしひとりどころか、山に人間(=私)ひとりと言う状態でした。
今振り返ると、客観的な状況としては結構劣悪だったけど、あまり辛い記憶がないのが不思議。自然の環境にも人間の環境にも救われたんだろうな。
あの旅館にいつか泊まりに行きたいなあと思うんだけど、自分がかつて従業員だったところに客としていくのがこっ恥ずかしくて、未だ実現できていないのでありました。
私にとってトップテンに入る美味いものに、ミチコさん(仮名)が握ってくれた握り飯があります。
わたし、以前、山の中の温泉宿に、住み込みで仲居を務めていたことがあるんだけどね、その宿は、なんというか、食に執着がないところで、終始餓えていたのです。
朝食はチェックアウトのお見送りをしてからようやくありつけたものですが、それも、お客様の残りの冷や飯で、
おかずは古くなった生卵もしくはふりかけ(ふりかけは後日、「減りが早い」と女将さんが難色を示したため、
塩 に移行されました)、好き嫌いの激しいお客様がおかずを手つかずで残した日には「ごちそう万歳」と、心の中で快哉をあげたものです。
そんな生活、布団の上げ下げやお客様の食事の給仕は、当然、従業員の朝食前に済ませる仕事なのですが、腹ぺこ住み込み従業員の朝早くの肉体労働を労ってくれたのがミチコさん(仮名)。
ミチコさん@仮名 はパートのおばさま@50代後半 だったんだけどね、あわただしく働く朝にやってきては、女将さんがいないときを見計らって、「ここはいいから、早くこれ食べてきな。かわいそうになあ、若いもんが腹すかせちゃ駄目だ」って、ミチコさんお手製の握り飯&漬物を私に渡して、"早く食べろ"とあたしを布団部屋に押し込んでくれたもんです。
他のパートさんも、あれやこれやと、女将さんの目を盗んで、色々おかずや果物を差し入れしてくれてね。
アレに勝る美味はないと、今でも思う。本当に美味しかった。本当に美味しかったのです。
ミチコさん@仮名 は特に良くしてくれて、寒い時期になったから、と、嫁いだ娘さんのセーターやジャケットを融通してくれたりもしましたよ。 今でも年賀状のやりとりくらいはしています。
住んでいたのは山の中腹、車も通れない急勾配の上にある旅館、渓流に面していたため日がな一日水の岩を打つ音が聞こえる場所でね、私の部屋は、千と千尋の如く、ボイラー室の真上でした。
住み込みは殆ど居なかった(仲居すらほとんどいなかった。みんな逃げていったので、あたしが最初のひとりであり最後のひとりの住み込み仲居でもあった)から、宿が休みの日は、旅館にあたしひとりどころか、山に人間(=私)ひとりと言う状態でした。
今振り返ると、客観的な状況としては結構劣悪だったけど、あまり辛い記憶がないのが不思議。自然の環境にも人間の環境にも救われたんだろうな。
あの旅館にいつか泊まりに行きたいなあと思うんだけど、自分がかつて従業員だったところに客としていくのがこっ恥ずかしくて、未だ実現できていないのでありました。
PR
この記事にコメントする